30代前半で香港の子会社に海外勤務

所属する企業(メーカー)の香港にある子会社に、海外出向という形で、2年ほど勤務しました。香港映画に象徴される、猥雑な活気に満ちた大都市香港での勤務及び生活は、公私共に大いに充実していました。

業務面では、ある程度の海外勤務歴が予めあったので、比較的スムーズに溶け込めました。それでも日本での会社員生活とは一変し、責任、権限、業務量(ついでに言うと一応報酬も)格段にアップしたのは事実です。日本勤務時代と比べ、1ランクも2ランクも上の職位で仕事をすることになり、言葉の問題もさることながら、管理職としてのスキル不足を大いに痛感することになりました。

香港は狭い国なので、住居費は信じられないほど高いのですが、そこは日本企業の海外勤務ということで、そこそこのレベルの住居に入れました。私生活の面でも、さすが世界的な大都市だけあって、その魅力を大いに堪能しました。中でも「食は香港に在り」と言われるように、中華料理のレベルは大陸以上に高く、香港勤務の最大の楽しみのひとつと言えます。

香港は中国語(広東語)が母国語で、一部の企業内を除き、英語はあまり通じません。まあ全体で言えば、日本人よりは英語は上手いのですが。なので、英語は、いわば下手くそ同士で、あまり不自由を感じませんでしたが、広東語はチンプンカンプンでした。でも最低限のサバイバル広東語(タクシーの乗り方とか)さえ覚えれば、日常生活に特に不自由は感じませんでした。

カナダのファストフード店でマネージャーのお仕事を経験

カナダのバンクーバーで、ファストフード店にてマネージャーの仕事を経験させて頂きました。勿論やり取りは全て英語です。最初は語学学校に通いながらでしたので、夕方から閉店までの時間だけで仕事内容も、皿洗いとお客さまへのサーブと床掃除などの片付け作業だけでしたが、私の接客を見て「君の接客態度好きだよ」と店長から誉めて頂いた事もありました。そして学校を終え、フルタイムになって1ヶ月ほどした頃、店長から正式に「君ならできると信じてる」と、マネージャーを任せられました。正直、全く自信もなく、当初は本当にパニック状態でした。

お客様が目の前で待っているのに、希望されている具を切らしてしまってご提供出来ないといった事も何度か起こりました。私が全て他の従業員へ指示する立場でありながら、ストックをいつどれだけ用意しておくべきか全く把握できていなかった為に起こった事でした。そこで、店長に相談し、どれだけのストックを常にキープしておけばいいか、表を作り、冷蔵庫に貼って、同じ失敗を回避しました。が、私がマネージャーになって同じ時期に新人も迎えて指導する立場にあったのですが、やはり、「なぜあんなに何も知らない人がマネージャーなの」という当然の不満が起こり、店長に従業員の一人が話をしているのを耳にしました。そこで、その従業員と二人になったとき、それまで調理の仕方も何も知らない状態でマネージャーになったことを正直に話をしました。それによって、その従業員も凄く協力的になってくれ、協力体制を作っていくことできました。いっぱい失敗もしましたが、辞める日に、店長から「ここの商品は全て君の物だからいつでも食べにおいで」と握手をしてもらったのを昨日の事のように覚えています。とても勉強になり、また人見知りの激しかった自分に自信をくれた大切な想い出です。

ニュージーランドでワーホリ、自然の中で大切を学んだ日々

私は22歳の頃大学を1年間休学してニュージーランドへワーキングホリデーに行きました。理由としては社会に出る前に、さまざまなことを経験して生きる力を持ちたいと思ったからです。

ニュージーランドでは初め1か月は語学学校に通い、そこからヒッチハイクなどをしながら国内全土を周る旅をしました。

しかし当然のことながら資金は無くなり、仕事をしないといけない状況になりました。もとより、「働く」という経験もしたかったので予定通りですが。

旅仲間の情報でブレナムというワインヤードが沢山ある地域に行けば仕事はだいたいあるということだったので、早速バスで行きました。

ついて数日で宿のオーナーの紹介で仕事に就けました。

朝7時にブレナムの駅まで行き、そこに大型バスが来て労働者が次々と乗り込む。どこへ行くかはよくわかってません。

だいたい羊がうろうろしている広大なワイン畑です。私が行った時期は収穫の時期とは反対の土を均したり、プラントを植える時期でした。私は出来高制で雇ってもらったので何レーン終わったのかで給料が変わります。疲れますが頑張れば時給組よりは確実に稼げました。しかし、やり直しなどがあると時給組より低くなってしまうので、作業は正確に、でもスピーディーに1日中行いました。17時には仕事は終わりまたバスに乗り駅まで送られます。そして宿でシャワーを浴び、ごはんを食べ寝る。その繰り返しでした。

ただ、朝早く起き、大自然の中、畑仕事をし、夜は早く寝る。この単調な日々の繰り返しが自然の中で人が生きるということだと気づかされ、幸せな経験を積むことが出来たと思います。

1年のつもりが5年になったメキシコでの海外就職

スペイン留学に1年ほど行ってスペイン語がある程度話せるようになりました。

その後日本に帰ってきてスペイン語を使う仕事を探しましたがなかなかなくて一般企業に就職しましたが、やはりスペイン語を使いたいという思いは消えず、メキシコに片道チケットで何のあてもないく行きました。

ネットで見つけた間借り部屋の大家さんが求人をしている会社があるということを教えてくれたので、彼女伝いに面接をしに行き、その場で正社員として就職が決まるというスタートとなったのがメキシコシティでの海外就職です。

元々日本でアルバイトを含めて旅行業界を経験していたので、メキシコで就職したその旅行会社での業務は全くの未経験の人よりはできました。

しかし、スペイン語での電話のやりとりや同僚のメキシコ人にどうやって伝えればよいのかなど、最初は戸惑いましたが、上司に聞いたり上司のやり方、言い方を見よう見まねでやっていると、数か月後には営業だったのですが、担当企業を持たせてもらえるようになりました。

会社自体は良くも悪くもアットホームでもちろん嫌なこともありましたが、人間関係は休日にも一緒に遊ぶほどすごく良くて、この会社を選んでよかったと思いました。

収入は月10万円前後でしたからあまり余裕のある暮らしではありませんでしたが、カンクンなどでイベントがある際には旅行を兼ねた仕事ができたのも楽しかったですし、担当企業の大きなイベントも任されて忍耐力と責任感が増し、結果、1年経ったらやめようと思っていた海外就職は5年もメキシコに滞在することとなりました。

中国出張時に感じた大いなるカルチャーショックとは

最近では大変多くの企業が海外で活躍しています。多くの方にとって海外で過ごす時間はとても魅力的で大いなる魅力的な市場と映るかも知れません。ネット社会の本格的な到来で今後もどんどん多くの情報や往来にかかるコストが削減されていく中で海外と日本の距離感はどんどん少なくなっていく事が考えられます。私は以前自動車メーカーで働いていましたがこの時も中国の台頭とパワーに関しては大変素晴らしいものがると感じていました。

行った街は広東省ですが大変多くの方が訪問を行っている街です。日系企業も多数進出していますのでとても刺激的なビジネス環境が整っています。最近では中国人による不買運動等、大変多くの問題も孕んでいますがそれでもやはり、広大な国土と多くの人口は多くの方にとっても大変魅力的な市場である事に間違いはありません。このような市場を有効に活用する事で日中間双方にとって大変大きなメリットが存在するのです。私は当時、技術畑の人間として中国人に多くの技術的な指導を行っていく立場nありました。このような視点から中国人と日頃から交流を行っていると大変多くの事に気が付きます。

まずは彼らが非常に優秀で勤勉であるという点です。最新の技術を学んで自分のノウハウやスキルアップを行っていく事でより多くの社会的な成功を収めていきたいと考える大変向上心と向学心の高い方が多いのが中国人の特徴です。このような点は日本人では中々見られない部分でもありますので、自分が教える立場で合った時に大変参考になりました。成長する国家や国民は常にこのような謙虚な立場で物事を考えているだと強く感じた瞬間でもありました。大変親日的な印象とやはり海外の人間らしく大変ドライであるという2つの側面を強く感じたのも特徴です。日本人や日本の会社に関しての知識や情報は非常に多く持っているなというのが最初に感じた印象です。

基本的にはきちんとルールを守って仕事等にあたっていきますが、仕事が終わるとその後のコミュニケーション等に関しては深いものを求めるような事はあまりありません。あくまで仕事と割り切るドライな人種や民族であるという点いおいてはやはり日本人とは大きく異るのだと感じる瞬間が極めて多かったのです。しかし、低成長と言われる日本よりも今後の高い成長が見込まれる国を舞台に数週間の出張ですが滞在できたのは私にとっても大変良い経験でした。

オーストラリアの南でさくらんぼの流れに乗る

短いことで有名なさくらんぼのシーズン。場所と作業内容によってはとても稼げるため、たくさんの人がこの仕事を求めて移動します。私もその波に乗ろうと、張り切ってタスマニアに向かいました。

運良くさくらんぼの仕事をゲットした私。たくさん稼げるという歩合制のピッキングではなく、時給制で工場内でのソーティングという仕分けのお仕事です。タスマニアでは有名な工場でのお仕事でした。

工場の中は2℃前後ととても寒く、ダウンジャケットや温かい下着を着込んでの作業です。さくらんぼは冷たい水に乗ってやってきて、ベルトコンベアーに載せられたところで私達が仕分けをします。工場内の気温が寒い上に冷たい水が散り、手袋をしていても手がかじかんでいきました。しかし寒いからといって縮こまっているわけにはいきません。瞬時にさくらんぼの質を見極めて、テンポよく仕分けをこなします。時にはとんでもない量のさくらんぼがどんぶらこと流れてきて、パニックになることもありました。

そんななか唯一の楽しみが休憩時間。寒い工場の中から、温かい外で思い思いに休憩を取ります。仲良くなったお友達とお菓子を広げて、つかの間のひととき。寒さで縮んだ体も一気にほぐれました。

さくらんぼの収穫は年によってむらがあるため、良い年は2ヶ月以上仕事が続きますが、収穫量があまりよくないと1ヶ月ほどで終わってしまうこともあります。私が仕事をした年はあまり良くなく、1ヶ月半ほどで終了してしまいました。あっという間のさくらんぼシーズン。たくさんの人が一気に集まって、一気に去っていく。そんな光景がとても印象的でした。

イタリアの典型的な家族経営のお店で働いてみた

家族の絆が強いイタリア社会。お店でも、企業でも、家族経営でやっているところはとても多い。

私が留学していた頃、外国からの学生でも、週20時間までの仕事は認められていたから、12月でお店が忙しい時期、知り合いのイタリア人家族が経営する酒屋さんに頼まれてアルバイトをしたことがありました。

町なかにあるお店だから、お客さんはもちろんイタリア人だけじゃなく、アメリカ人や日本人など、観光客のお客さんもとても多くて、特に日本人のお客さんは、恥ずかしがりやで、話しかけてもあまり答えてくれないから、あなたが通訳してちょうだい、って頼まれました。

お父さんと、お母さんと、一人息子さんの3人家族。

仕事を始めるにあたって、日本とは違うな~ と思ったのは、最初からハッキリと働く曜日や時間を決めてくれなかったこと。

「今週は火曜日に母の病院があって一緒に行くから、火曜日は午前中から来てちょうだい、午後もお願いね。あと、水曜日の午前中も、私が家の用事があってお店には来られないから、出てくれる?じゃお願いね。」

みたいに、毎週、というか、数日おきに、その後の数日間の仕事の日程を決められて、自分の他の予定を立てるのが難しかったので、ちょっと困りました。

だって、そのイタリア人家族の予定がもし変わったら、夜にいきなり電話がかかってきて、

「やっぱり明日出てくれる?」と、休日だった日がいきなり出勤日になったりするんですから。

でもこれは、学生の、短期間だけのお手伝いだから出来たことで、いくらイタリアでも、ちゃんと就職するときには、もちろんきちんと雇用契約で内容を双方で確認するんですけどね。

家族経営特有の、ゆる~い雰囲気の中で朝から仕事が始まり、イタリアっぽく、常連のお客さんたちが入れ替わり立ち代わりやって来てはおしゃべりして行く。

そんな、楽しくもゆるゆるの雰囲気のお店だったので、私もあまり緊張することなく、むしろ気楽に、楽しく、お仕事体験ができました。

収入面では、せいぜい食費が賄える程度だったけど、でも良い経験をさせてもらったな って思っています。